鋼の錬金術師のエンヴィーの最期。
ホムンクルスであるエンヴィーが弱者であるはずの人間たちに追い詰められ、主人公エドに「人間に嫉妬している」と、その名の通りの心の内を理解され、涙を流しながら自ら最期を迎えるというシーンがある。
俺はこのシーンが強烈に印象に残っていて、ふと無意識的に思い起こしていることがあった。何でこんなに思い出すんだろうと今までも考えたことがあり、「俺も信頼しあった人間関係というのに憧れているんだな」と一応の納得はしていた。
母から定期的にメールが来る。俺の将来を案ずる、いわゆる心配メール。俺の不安症は母から色濃く受け継いでいるなと思ったりもするのだが、いつも軽く流していた。しかし今回はふと、「俺って全く信頼されていないんだな」という思いが起こり、その時、エンヴィーのシーンがフラッシュバックし、「違う違う、俺が俺を信頼していないんだ」とはっきり理解した。
あのシーンが何度も何度も思い起こされるのは俺の魂からの声であった。魂は俺が信頼していないことを知っており、だからこそ外に、あるいは外からの信頼を求めるしかなかったのだ。
俺はトレーダーとして将来的に成功することは確信している。自信というよりも事実として知っているという感覚だ。しかし、今、次の一本のトレードで自分のやりたいことを完ぺきに表現できるかと問われるとなぜか自信がないのだ。その答えが俺自身に対する信頼だった。
俺はトレードに限らず、長年自己否定をし続け、罪悪感を感じるという反復を繰り返してきた。それによってできた無価値観が信念として俺の奥深くに刻まれており、自分が喜びを享受するに値しないという感覚がいつも付きまとっていた。
俺の魂は俺に信頼してほしかったのだ。俺は俺でいいのだし、俺が喜びに値する存在だと気付いてほしかったのだ。俺は今、自分に自信を感じるかと問われると揺らぎを感じる。でも「俺は俺を心の底から信頼したい」この思いだけは確かなものだ。今はこれでいいから、この望みをしっかり抱きしめていたい。
資産60万 負債300万