強烈な気持ち悪さに目が覚めた。直感的に、精神的にも肉体的にも落ち着かせなければと感じ、深呼吸。瞑想をして収束するのを待った。しばらく吐き気があったが徐々に落ち着いていった。
気持ち悪さの原因は夢だった。そこでは自分はアイスの工場の従業員で、当たりつきアイスの袋のラベルみたいなものを自由に得られるという謎設定にあり、それを近くのスーパーで好きなだけ商品と交換しようとしているところだった。
目が覚めて落ち着いてから思い返すと、どういう夢やねんと笑けてくるのだが、当時の自分には重大だったのだ。交換しようとしながら計り知れないほどの罪悪感を感じていた。自分が得し、店が損するという理解が内在していた。
何だこれはと思いながらもやはり自分の夢。内観していくと気付くものがあった。
俺は無意識的に自分が得することを恐れていた。もっと大きく捉えると喜びを得ること、幸せになることを恐れている。それは何故か。それには他者という存在が関係している。
自分が得する一方で損する他者がいる、自分が喜んでいる一方で苦しい他者がいる、自分が幸せな一方で不幸な他者がいる。これを言葉にすれば罪悪感という不快さとして自分の内側で定義していた。
夢では自分の得と店の損が直接的に繋がっていたが、そうでない場合でもやはり不快さが根底にある。そしてその不快さの優先順位が高いが故に、それを回避するため、苦しい側に自ら身を置くという一見馬鹿げたことすら正当化される。
仕事で他の人に頼めず、無理にでも自分でやってしまったり、あるいは自分という存在を低く見積もったり卑下したりするのも優先度の高い罪悪感を感じるよりはマシだというシンプルな構造にある。
こうなってしまうと望むことに無意識的な抵抗が生まれる。へたになってしまう。以前見たエイブラハムの動画を思い出した。「あなたが抵抗している。宇宙はあなたの望みを全て与えようとしているのに。」
あぁ幸せになっていいんだ。喜んでいいんだ。歓喜していいんだ。俺はこんなことを自分に赦せていなかったのだ。そして俺が心配しなくとも、俺ごときが心配しなくとも、他者もまた宇宙が望みを叶え、与えようとしている。宇宙のサポートが付いている他者に対して罪悪感?なんと傲慢なことか。さっさと幸せにならんかい。
ようやく信用復帰。好きな時に入れ、好きな時に出られる。素晴らしいこと。仕事と自分に感謝。
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資産40万 負債310万